「あなたは光。もう一度、私を生んでくれた光でした」 
『ガンダムUC』より


「あなたは光。もう一度、私を生んでくれた光でした」この言葉は、アニメ『機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)』の最終盤で、ある女性パイロットが育ての親に贈った言葉です。

この作品は、十六歳の学生が「戦争を止めたい」というヒロインの願いに心を動かされ、その実現のために奔走する物語です。地球側と宇宙側という対立する両陣営の間を行き来しながら、彼はさまざまな人々と出遇い、言葉と心を交わすことで、自らのなすべき願いを見出して、行動します。

この物語の中に、一人の女性パイロットが登場します。彼女は戦争の道具として生み出されたクローン人間でした。女性としてはもちろん、人間としても扱われることのない、操縦するために存在する生きる兵器だったのです。そんな彼女の前に現れたのが、戦火の中で幼い娘を失った男性です。彼は彼女の養父となり、「もう戦わなくていい、心に従え」と語りかけ、兵器としての生ではなく、一人の人間としての歩みを与えました。生きていれば同じ年くらいだったであろう娘に彼女を重ね、家族同然の愛情を注いでいったのです。この出遇いによって彼女は人としての人生を歩み始め、人間の愛情を知った彼女自身もまた、深い慈愛をもって他者を導く存在となっていきます。そんな彼女が、最期に養父へ伝えたこと——それが、今回の掲示板の言葉です。
「あなたは光。もう一度、私を生んでくれた光でした」

この言葉から「あなたと出遇えたことで、救われました」という、彼女自身の事実が伺えます。私はこのことから「あなたは光」と言える存在に出遇うことで、救われていく人の姿をいただきました。

では、この「光」とは何でしょうか。私はそこに、「無量光」と称される阿弥陀如来の慈悲と智慧のおはたらきを思います。
慈悲とは私を思って下さる慈しみで、この慈しみの心をもって、私を導こうとして下さるのが智慧の光となるのです。

阿弥陀如来は、「諸の生死・勤苦の本を抜かしめん」(『仏説無量寿経』)という願いをもって、私たちを救おうと立ち上がられた仏さまです。

では、私たちの迷い苦しみの根本とは何でしょうか。それは、自分の人生において「本当に尊いこと」を見失ってしまうことではないでしょうか。その「本当に尊いこと」とは、ほかならぬ「自らのいのち」の姿です。しかし私は、自分の思い計らいの中で、この「自らのいのち」が尊いことであるという事実を、すぐに忘れてしまいます。
このような私に対して、阿弥陀如来は「無量光」という尽きることのない光をもって、常に照らし導いてくださっているのです。

解脱の光輪きわもなし
光触かぶるものはみな
有無をはなるとのべたまう
平等覚に帰命せよ      
(『浄土和讃』)

これは親鸞聖人のお言葉です。「解脱」とは仏の悟り、すなわち智慧を意味します。この光とは、阿弥陀如来の智慧のはたらきです。この光に触れるとき、私たちは、自分が「有る・無い」という価値観にとらわれて、自分や他者の人生を見てきたことに気づかされます。そして、その価値観を離れさせていただいたとき、はじめて本当に尊いことに出遇うのです。この気づきを人生にいただくとき、他者と比較する「有無の見方」から離れ、これまでの人生が多くの出遇いによって導かれてきたものであったと知らされます。

このような私が、自分の人生をあらためて見つめると、「あなたと出遇えてよかった」と喜べる歩みであったことに気づかされるのです。この気づきを通して、「自らのいのち」が本当に尊いことであったと頷き、自らのいのちに手が合わさるのです。

「もう一度、私を生んでくれた光でした」という言葉を思うとき、それは如来の光に触れることによって、自分の人生の喜びを取り戻していく姿であると受け取ることができるのです。

森林公園支坊 目崎明弘